前回の写真集のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:長倉洋海
○題 名:『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』
○出版社:福音館書店
○発売日:1996.10.25
さらにページをめくっていくと、
左ページに年齢を重ねながらも子供のように微笑む女性と
右ページに浅い川に佇む小さな女の子の写真がありました。
どこからきたのか
そのページにこんな言葉が添えられています。
人は、どこからきたのかを知れば、
出典:長倉洋海.『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』.福音館書店、1996、P.93.
どこへいくのかも見えてくるのです。
これは色んな意味にも捉えられる言葉だと私は思いました。
考え方によってはセンシティブな内容になるかもしれません。
人のアイデンティティや根幹に触れる部分にもなり得るからです。
しかし私はいろんな意味で心に留めておきたいと思いました。
この言葉にこだわるのもいいですし、こだわらないのもいいなと、両方思うのです。
インディオは口頭で伝承を語り継ぐことで今の生活に安心できて、
(それぞれの部族で言い伝えは異なるかもしれませんが)
死ぬことを恐れていません。
たとえ冷静になれない時でもルーツを思い出せれば、立ち直りが早いというか
切り替えや修正しやすくなるのではないでしょうか。
勝手なイメージですが、
自分がどういう存在かを一瞬でも思い出せたなら、
見失わない一点が後ろにも前にもみえるし、ある、
そんな感じかもしれません。
インディオとは違う文明を選んだ私たちはどうかと考えてみますと、
家族、血筋、人種、民族、国・・・多かれ少なかれ人間はルーツを求めますよね。
不安からルーツを求めたり、周りが見えなくなるほど主張したりすることもあります。
相手の何気ない一言でも、傷つけられた馬鹿にされたと感情がゆれて
関係がこじれやすい繊細な部分でもあります。
しかし脆く繊細でも、自分自身でいつかは直視する部分でもあると思うのです。
それほどルーツを切望しているのは、
人は教わっていないことが多すぎるまま、歩きすぎるので、
どこへいきたいのかわからなくなるからだと思います。
いつも、人間とは何者かがわからず、
苦い経験してきた私は痛いほど理解できます。
アイデンティティを求めて自信の裏付けにすることも時には必要だとも思います。
しかし引っ切り無しにアイデンティティを求め続けるのも、結構疲れてくるものですよね。
どこからきたのかを知りたい、土台を知りたい、
根っこを知りたい、確固たる理由を掴みたい、
…そこに自分の存在価値を見出したい
辿り着くのはそのあたりではないでしょうか。
○○生まれの自分、○○の血が入っている自分、
○○というルーツがあるから今の自分に自信がつく、
○○という言葉の理由があれば自分の価値が上がる、はず…
自信がつく、
価値が上がる、
本当にそうでしょうか。
一時はそう思えるかもしれませんが
ずっと安心していられるアイデンティティを掴み続けるのは、私の場合難しかったです。
一人で孤独と向き合うのは言葉にならないものだらけの世界ですが、
存在の価値を何かでうめようとしている状態を直視する機会を、どこかで設けるのも
「自分への本当の安らぎ」を与えることなのかもしれないと、今の私は思います。
”人は、どこからきたのかを知れば、どこへいくのかも見えてくる”
とインディオは言いますが、
インディオのように具体的な伝承がない私たちでも、希望はあると私は思います。
まずは、この言葉全体の雰囲気を感じてみられてください。
私にはとても心地よかったんです。
よくわからないけれど、大丈夫な気がする、やっていける気がする…
何もこたえにはなっていないですが、
このインディオの言葉が何かみなさんにとって
なにかしら小さな希望のある変化につながるならさいわいです。
結局は、
わからなくても、
勘違いしていても、疑問に思わなくても、
どこから来たかや先が見えなくても、存在価値はおなじですから、大丈夫なんですよね。
今日もここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回に続きます。