個人のあとの全宇宙の源

インディオの言葉

本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら

○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10

旅は続き、本は第四章に入ります。

次に長倉さんとアユトンさんが向かうのは、カシナワ族という種族です。

個人のあとの全宇宙の源

そのお話にいく前に、第四章のページをめくるとすぐアユトンさんの言葉がありました。

とても興味深い考えだと思いましたので一部をご紹介します。

(本当はこのページだけでなく本全体的にご紹介したいくらいですが・・・)

私たちクレナック族の伝説の中では、命が絶たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている輝きのあるエネルギー源とつながると言われています。人は死後、地球や宇宙全体を支えている全宇宙的パワーの一部となるのです。一個の個性が個人的体験を超えて、全宇宙的に広がっていくのです。

出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第四章カシナワの地へ.徳間書店、1998、P.152.

とても素敵な価値観だと私は思います。

インディオは”死ぬ”という現象に関して、このように捉えているんですよね。

死を恐れないという考えは、

毎日のストレスを大幅に軽減するのではないのでしょうか。

人は必ず死ぬのに、

避けるべきとか、おそろしいイメージが先行してしまうのは、

本当に不思議ですね。

避けたくても、生まれてしまった以上避けれません。

ですがいきなり無理に恐れないというのも、難しいかもしれません。

未知の世界だからですよね。

しかし生まれる前にも、私たちは未知の世界にいたはずです。

そっちはなぜか、怖くないんですよね(笑)同じ未知でも、過ぎたことだからでしょうか。

ということは、これから起こるであろうことが分からないのが怖いんですよね。

ここで、”宇宙全体の命を支えている輝きのあるエネルギー源とつながる”

という考えだったならどんな感じがするでしょうか。

行くところが決まっていれば、心配は減るのではないのでしょうか。

でもそうはいっても、

それがいつ来るかわからないのがこわい、と思うかもしれません。

確かにそうです。

それは年齢や生きた長さに関係なく、かならず体の機能が止まる時がきます。

もし例えば、70歳で全人類にお迎えがくるという決まりがあったとしたなら、

安心して生きられるのでしょうか?

逆算してやりたい事を考えられて、効率よく生きられるでしょうか?

終わりがわかり切っていますので、綿密に計画しだしたりして、

生きる時間が確保されていることに安心できるかもしれません。

でも、だんだん反対につまらなくなってくるかもしれません。

なぜなら、常に70という数字のリミットに意識がいってしまうと思うからです。

何かあっても「いま○歳だから、あと残り○年あるし」と

言い訳や今をないがしろにしたりし易くなったりするかもしれません。

先が見えないから縮こまって動けない、ということもあると思います。

しかし同時に先が見えないから、”集中”できたり、

その人だけの”感動”を感じられるという機会も含んでいるのではないのでしょうか。

そうすると、結局、

何年間生きようが、

未来が予測できようができなかろうが、

”やりたいことを楽しむこと”とはあまり関係がなくなってくるのではと思うのです。

死ぬことを把握するのは、とても大事だと私は思います。

やみくもにおどろおどろしいイメージのまま死ぬ日を迎えてもいいのですが

アユトンさんの言葉のように大きく構えて生きる選択もあっていいと私は思うのです。

すぐに考えを変えるのは難しいかもしれませんが・・・

そもそも、自分でも他人でも

なぜ死ぬことに避けたいような感覚があるのか、

自分でも本当に不思議に思います。

冷静に分析してみると、

自分の死と、自分以外の死と、違うところはないでしょうか。

自分の死に対しては

私は割と深い感情は湧いてこない可能性があるので、今はそんなにこわくないです。

もし結果が出る前に死んだら、達成したかったと思うかもしれませんが、

そのために今できる範囲で毎日を過ごしているので、

人生に満足できるかは謎ですが、人生に納得はできるかもしれません。

周囲へのも心配もないですし、個人的に無宗教なので行き先も自由だと思っています(笑)

一方、自分以外の死に対しては、

出てくるであろう感じたくない感情(悲しみ、寂しさ、喪失感、後悔など)や、

単純にその姿への非日常的な違和感や衝撃、

あとイメージとしては儀式の要素がまだ強いですから

宗教的な世界観が、必要以上に厳かさを助長するかもれません。

でも、ここで個人的にポイントだと思うのが、

全て”自分の捉え方や考え方、自分の感情がこわい”、ということです。

こうして”こわさ”を分解していくと、

解せる場所がなんとなくでもわかってくるんですね。

他人や自分以外の考え方自体が云々ではないみたいなんですね。

そこで、自分の持ち物チェックと、自分の冷静さの出番が大事なのだと思うのです。

自分がどの情報を取捨選択し自分がどうしたいか、

自分の感情をどう扱ったらいいか、

その二点を自分でおおよそ把握していれば、

どんな予想外の出来事でどんな感情が湧き起こったとしても、

今のうちからそこまで心配するようなことは、そんなにないのではと私は思います。

今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回に続きます。

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