こちらの本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10
著者の長倉さんは、インディオのアユトンさんと旅をする途中で、
アユトンさんから価値観の異なる言葉を沢山受け取っては、自問しています。
インディオの伝統を守りつつ現代を生き抜いてきた一人の体験者として発せられるアユトンさんの使う言葉は一見穏やかです。
しかし、決して理想論やふわふわした絵空事のようには感じませんでした。
アユトンさんがインディオとしてこの時期に生まれてきた事実を受け止め、
あらゆる感情を乗り越えたからこそ出てくる言葉が
会話の節々に見え隠れしているようで、とても惹きつけられました。
川は自然の血管
川は自然の血管のようなもので、私たちの親族であり、名前もきちんとあります。山も生きています。(中略)自然には無駄なものは一つもなく、すべて存在するのには意味があるのに
出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第一章アユトン・クレナックとの出会い.徳間書店、1998、P.26.
この一文を見た時、私はとても嬉しくなりました。
特に最初の「川は自然の血管」まさにこの部分は、ものすごく共感するからです。
私の実家の前には、小さな美しい川が流れていたので、
小さな頃から川遊びをして育ちました。川魚の恩恵も受け取ってきました。
台風などで大水が出る度に自然の猛威を目の当たりにし、
護岸工事があった時は、必要性とは別のところで感覚的に葛藤を感じてきたり、
雨が少ない時期は白い石がごろごろして川全体の調子を気にしている自分がいました。
また、台風の後のあの、たっぷりとした水量と緑とも青とも言えない色合いと透明度が
それはそれは生まれ変わって再生したかのように美しくて、
そんな川の表情も好きでした。
川は血管というインディオのアユトンさんの言葉は、本当にしっくりきます。
水量を変えながらも、そのままの姿で淀みなく流れていると、
そばに住まわせてもらい眺めてきた人間の一人としては、とてもほっとできるのです。
大切なことは一日に一件
「時計があると、分刻みでスケジュールを入れてしまう。大切なことは一日に一件しか入れないようにしている」
出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第一章アユトン・クレナックとの出会い.徳間書店、1998、P.26.
隣を歩くアユトンさんが腕時計をしていないことに気づいた長倉さん。
アユトンさんは腕時計を決してしないそうです。
その理由も簡潔で清々しいですね。
私も腕時計をして仕事をしていた時もありましたので、
時計に管理されている如く忙しなくなる感覚はとても分かります。
確かに何時までにこれを済ませなければと言う時には、大変助けられました。
私の場合は、いつの間にか別の理由で腕時計をしなくなりました。
何回も手首をくるくるさせるのが面倒になり、
単純に片腕が重く感じたからです。笑
安くても気に入った時計を使っていましたが、手首への負担があるんですよね。
首から下げるネームすら重いと感じる私でしたから、
腕時計を外すだけで、気分がかなり違いました。
お洒落で素敵なんですが、私の場合は心地よさが自ずと優先されていましたね。
腕時計で時間は計らずに、
大切な事は一日一件というアユトンさん。
とても自分の時間というものを大切にされていると思います。
時間というより、人生そのものというように感じます。
頑なになられているという事でもないと思いますが、
しっかりと意図されている所は潔いですね。
一日一件。
その一件も、きっとアユトンさんがしたいことだけを選んで決めた
大切な一件ということの様に思います。
一日その事だけに集中して、気の置けない仲間と会話や仕事ができたなら、
一年中とても濃く豊かな時間が過ごせるのでは、と少し想像します。
とはいえ現実的な日本の生活は毎日やることだらけで、
実践しようと思っても今すぐ真似するのは難しいところがあるかとおもいます。
それでも、ほんの数秒でもイメージすると、
どこか懐かしいような穏やかな気持ちになるのは、私だけでしょうか。
時間の使い方、捉え方にも、気づきをもらえたアユトンさんの一言でした。
今日もお読み頂き、ありがとうございました。
次回に続きます。