ひとりの人として包み隠さず

校則のないがっこう

新しい本のご紹介です。(前回の本はこちらから)

さて今回ご紹介する本の舞台は、

定期テストなく、服装も自由な中学校、東京の世田谷区立桜丘中学校です。

子どもたちの声を大切にして、

子どもたちがどうやったら楽しく過ごせるかを考えて取り組んだ結果、

生徒も教員も、周囲も変わったそうです。

著者は校長の西郷孝彦さんです。

その軌跡の一端を、校長先生からの視点で語るように綴られています。

定期テストや服装の規定がないだけではありません。

例えば、学校に必ずあるチャイムもなく、登校時間も自由なんです。

面白いなと思います。

そのほかにも、

授業中寝ていても起こされないですし、(それにはちゃんと理由があります)

今まであたりまえとされてきた決まりや常識を、とことん覆します。

そんな世田谷区立桜丘中学校の日常。

ご興味がある方は、ぜひ読んでみて下さい。

○著 者:西郷 孝彦
○題 名:『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』
○出版社:小学館
○発売日:2019.11.16

ひとりの人として包み隠さず

世田谷区立桜丘中学校では、

好きな教員を生徒が選んで一対一で話せる、

「ゆうゆうタイム」という時間が設けられています。

何十人から指名される先生と、全く指名されない先生も出てくるそうです。

すると先生は、自らを変えようという気持ちになるのだそうで、

西郷校長はその教員にアドバイスします。

子どもたちの前で教員として振る舞うのではなく、本来自分が生きてきた「素」の自分でいるのです。いいところも悪いところも包み隠さず、ひとりの人間として、子どもに対峙すればいいのです。

出典:西郷 孝彦.『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』.第一章あれもこれも「ない」中学校.小学館、2019、P.31,32.

生徒と同じように先生だって、

何もかも完璧人間ではないですよね。

教える立場はこうでなければ示しがつかないと、

今までのやり方を良かれと思って

頑張ってこられたのではないかと、私は思います。

これは、とてもデリケートな部分だと思います。

ですが、あえて感じたことを書きます。

生徒も教師も対等だと、西郷さんも本で書いています。

それは、みんなが平等の体験をしているという意味ではありません。

子供でも大人でも生まれた時からひとりの人として、

それぞれの道を歩いています。

現実が優しくもみえ、時には厳しくみえたりもします。

でも、ここで例えば、あり得ない話ですが、

生徒たちが空気を読んで、

先生たちが寂しくないようにと

全ての先生に同人数の生徒が割り振られる、

というルールを作ったなら、どうなるでしょうか。

独りぼっちな生徒も先生もいなくなり、一見何も問題ないように見えますが、

合う先生でなければ、

生徒は腹を割って話すことも難しくなり、

一体誰のための何のための時間か、わからなくなってしまうかもしれません。

生徒も先生も、同じ人間ですので

相性はあると思います。

そして、生徒に相手にされない出来事がもしなかったならば、

その先生はずっと、

しらないまま、気づかないままでいる可能性もあると思うのです。

何に?それは、

自分の持つ本来の輝きに、です。

ですから、出来事そのものは辛辣に見えるかもしれませんし、

よかれと思って長年やってきた事がまさか逆効果だったなんてと、認めていく過程は、

孤独でツラいと感じる事もあるかもしれません。

しかし、

ピンチはチャンスとはよくいったもので、

でも本当に貴重な機会でもあると思うのです。

「教師としてこうあらねばならない」、という縛りを

その人自身で解いたならば、

この先もずっと穏やかな自分を感じられる、そんな機会でもあります。

なぜなら、素の自分、肩ひじ張らない自分を、

少しずつでも表現できたのなら、

まずそんな自分に嬉しくなれるからです。

たとえ100人の生徒から指名される事よりも、

大切にしたい事だなと、個人的には思っています。

西郷校長は、

そのように対等な関係性を築こうとする教員の顔つきが、

穏やかなものに変わっていった様子をみるのでした。

今日もここまで読んで頂きありがとうございます。

次回に続きます。

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