前回の本の続きです。(前回の記事はこちらから)
○著 者:岡本 央
○題 名:『泥んこ、危険も生きる力に
ないないづくしの里山学校』
○出版社:一般社団法人 家の光協会
○発売日:2019.8.20
木更津社会館保育園には、
よくあるプラスチック製の遊び道具はありません。
鍋やおたまなどが園庭に置かれているそうですが、それも
宮﨑園長が、子供たちの創造力を育むことを意図して考えられた事だそうです。
すべての子供たちの事を思い、個々の生きる力を育てていく環境を整え、
徹底した研究と信念を持って、変化しながら活動を続けていらっしゃる
宮﨑園長の言葉は、どれも素晴らしくストレートに響きます。
これ、何につかえるかな?
宮﨑園長は子供たちの創造力を引き出すため、こんな聞き方をするそうです。
例えば園で使っている木の椅子を『これは椅子です』とは言わず、つまり名称にとらわれることなく、その機能のほうに着眼するという考え方ですね。『これ、何に使えるかな?』と。それが机という名で売られていたとしても、滑り台になる、電車にもなる。そういう子どもの思いつきで、物に新たな価値、機能を与えて好きなように遊ばせる。
出典:岡本 央.『泥んこ、危険も生きる力に ないないづくしの里山学校』.里山保育の哲学.家の光協会、2019、P.107.
驚きました。
質問ひとつで、こんなにも自分の内側に意識が向いて、
可能性は広がって、
答えも自由になるんですね。
これは何に使えるかな?
という聞き方は、
自分だけの答えであり、
正解は全部自分ですね。
ですから、間違った答えなどないので、
本人はそういった不安もなく、答えることができます。
この質問はうれしい質問です。
たとえ、答えがすぐ出てこなくても、
聞かれた子供はきっと、心が温かくなります。
たとえ表面上はそうみえなかったとしてもです。
だって、質問者から無条件に信頼されているのを、感じられるからです。
とても素晴らしい質問の仕方だと思いますし、
とっておきの質問の言葉のようにさえ、私は感じます。
大人になった今はどうでしょうか。
椅子を見たら、座るモノとしてしか見ていないですし、
もし疲れていたなら、何の疑いもなく座ると思います(笑)
もし元気だったとしても、
形、材質、機能、値段など、
大人になるにつれ計らずとも増えたものさしを使って、
把握し始めるかもしれません。
すでに無意識下で認識しているものを、
初めて出会ったモノのように、真新しい気持ちでみるのは
ちょっとむずかしいかもしれません。
しかし、大人でも、
この質問は十分応用できると思います。
自問して、遊び感覚で少し試しにやってみると、面白いかもしれません。
ノートパソコンをパタパタさせて、団扇に使うとか、
テーブルをひっくり返して、舟にするとか・・・
ちょっと考えてみても、そこまでぶっ飛べず実用的な範囲になりましたが(笑)
少しは頭が柔らかくなりそうです(笑)
使い方はこれしかない、
捉え方はこれしかない、
それを決めたのは、
既に生まれた人であり、発明した人かもしれませんが、
受け取り方、捉え方、使い方は、
生まれている人の数だけ自由にあっていいんですよね。
椅子の背を抱え込むように座ってもいいわけです(笑)
部屋の中や日常生活に溶け込んでいるモノほど、
当たり前に理解していると思うので、
宮﨑さんが椅子でお話をしているように、
逆に日常に使っているモノほど、他の使い方を妄想したときに
眠っていた小さなクリエーターも、目を覚まし始めるのかもしれません。
私は、子どもたちにかぎらず、大人たちもあそんでいる世界がきっと心から好きです。
今日もここまで読んで頂き、ありがとうございます。
次回に続きます。