前回の本の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:有元葉子
○題 名:『イタリア 田舎生活の愉しみ―見えてきた私らしい生き方』
○出版社:海竜社
○発売日:2001.7.18
散歩を楽しむためのお洒落
こちらの本の最終章には、
イタリアの各州独特の食べ物、景勝地等についても書かれています。
多くの観光旅行ではプランに入らず通り過ぎてしまうような町や、
魚介が美味しいレストランのある町など、
実際に有元さんが訪れてオススメの場所、
有名都市にはないイタリアの魅力を知ることができます。
そのなかで、ちょっとほっこりするエピソードがありました。
イタリアの田舎町ではこんな習慣があるそうです。
イタリアの田舎町では、ぜひ夕方のパッセジャータを楽しんでいただきたいと思います。ほんの二時間ぐらいですが、人々が町に繰り出し、特有の活気があります。
出典:有元葉子.『イタリア 田舎生活の愉しみ―見えてきた私らしい生き方』.6土地に根差した生活から学ぶこと.海竜社、2001、P.213.
”パッセジャータ”とは、
イタリアの田舎町で習慣になっている、夕方の散歩のことです。
ただ散歩だけを楽しむのだそうです。
家族、友達、おじいさんだけ(おばあさんだけ)のグループなど、
連れだって歩くのは老若男女様々で、
しかもそれなりに身なりを整え、お洒落をして歩くそうです。
少し高いレストランに入るのでもなく、特段イベントがあるというわけでもありません。
いい服を着て、夕方散歩しながら好きな人と話して過ごす習慣。
なんだか、すごく素敵だなと思いました。
日差しの強い昼間も鮮やかで好きですが、
夕方の光が和らいだ時間帯も、ほっとするような空気がありますよね。
そんな中、散歩のためにお洒落をして歩く・・・粋な習慣だと感じます。
町全体でみんなが各々自由に過ごす雰囲気が、
観光に来た人をも癒すのでしょう。
夕方が楽しみになりそうですし、
歩きながら好きな人と話せて、とてもリラックスできそうです。
きっとまったりした空気なんでしょうね。
一日疲れたから癒しのための散歩、ではなく、
時間、人生、会話、自然、ファッション、それらを融合させて
積極的に人生を楽しんでいるような印象があり、
とても豊かに感じます。
確かに、ちょっとお気に入りの服など、
行事に合わせてたまに着るからこそ、改まった感じを楽しめる一面もありますが、
普段から時々身にまとってあげるのも、素敵だと思います。
通り慣れた散歩道でも、
少し自分なりのお洒落を意識して楽しむだけで、
また違った風景が広がって見える気がします。
思えば、私も最近似たような事をしていたことに気づきました。
四月初旬、満開に近い桜並木の小さな道を歩いたのですが、
普段は着ない着物を着て、出掛けてみました。
昔、古着屋さんで手に入れたものですが、タンスの肥やしになっていたので、
気持ちいい季節に着たいなとずっと思っていたのです。
とはいっても正式な着方ではなく、内側は動きやすい洋服で、
一番外側だけ着物を着て帯で留めただけです。
帯の結び方もインターネットで調べたりして少し悪戦苦闘しましたが、
何とか形になりました。
時間帯は夕方ではなく、
燦燦と太陽の日差しがまぶしい昼間でしたが、
小さなブーツを履いて
思い切って人目を気にせず出掛けてみました。
着物と帯を体が認識すると、
歩き方がいつもと変わって小股になり、
一歩一歩も丁寧に踏みしめるように自然となるのが不思議です。
桜並木へ向かう道もウキウキしました。
着物を着ている自分がいるのが嬉しくて、
何度も腕を広げて袖を確かめたり・・・
中身は同じ私なのですが、
遠くに見える里山を見渡したり、美しい桜の木の傍に立つと、
自分が江戸時代にワープしたような気分でした。(笑)
昔の人もこんなふうにお花見を楽しんだのかな、とも思いました。
温かい日差し、ヒバリのさえずり、小径沿いに流れる水路の音、春の風、
桜の幹や優しいピンクの花びらの美しさ、懸命なミツバチの羽音、
着物という素晴らしい衣に覆われている安心感、
感じるすべてを嬉しく感じられました。
言葉にするのはむずかしいですが、
”自分が歩いている”というある種の手ごたえのようなものを、
普段の散歩コースで味わえて、とても新鮮でした。
一人で散歩しましたが、
普段と違う装いで桜のお花見を楽しめたことは、
たとえ少しの時間でも
充分に満たされるひと時でした。
また春が着たら、勇気を出してやってみたいと思っています。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。
今回でこちらの本の内容は終わりです。
ありがとうございます。