食品店へ行く楽しみ

イタリアの田舎

前回の本の続きです。(前回の記事はこちら

○著 者:有元葉子
○題 名:『イタリア 田舎生活の愉しみ―見えてきた私らしい生き方』
○出版社:海竜社
○発売日:2001.7.18

好きなだけ、自分で選んで買うのが基本

イタリアにも四季があって、

季節の変わり目には雹が降ったりまた晴天になったりと

急変する自然の一面も感じられるそうです。

日本での喧噪から離れてイタリアの家に来ても、体を動かす有元さん。

薪の用意や掃除など生活に必要なこまごまとした家事も、それ自体を楽しみます。

イタリアにも大小さまざまな食品店があり、そのことについてもこのように書かれています。

結局、好きなものを、好きなだけ、自分で選んで買うというのが基本です。これなら、たとえば小さなじゃがいもだけ欲しい、大きいのと小さいのを半々ずつ買いたいといったことができます。

出典:有元葉子.『イタリア 田舎生活の愉しみ―見えてきた私らしい生き方』.3お金をかけずに手をかけるていねいな暮らし方.海竜社、2001、P.77.

イタリアではお肉や野菜が、欲しい分だけ買える仕組みになっています。

既にパックに入っている野菜も置いてありますが、

イタリアではそちらを買う人は殆どいないそうです。

日本ではパック詰めされたものを選ぶことも多いのではないのでしょうか。

面白い違いだなと思いました。

日本でも昔の八百屋さんは、量り売りでしたよね。

私はその頃の時代の事は想像でしかわかりませんが、

個人経営のスーパーは、親に付いていってよく利用していました。

チェーン店のスーパーも近くにあったのですが、

母は地元の間で少しでも経済が回るようにと意識して、

チェーン店だけではなく個人のお店も頻繁に通っていました。

私はまだ理解が及ばず幼かった私は、

なぜチェーン店に行ったあと個人商店にも行くのだろう、

品揃えや値段を気にせず、なぜ手間のかかることをするのだろう、と正直思っていました。

でも時が経ってようやく、個人商店の素晴らしさや

母親の言わんとすることが分かるようになりました。

今思い返すと、

その個人商店には独特の緩い空気がいつもあり、

カボチャ一個をいる分だけ切り売りしてくれたり、

どう料理したらいいか、どんな食べ方があるかを、

母はお店の人によく質問していました。

イタリアのお店でも、

どうやって食べればいいか気軽に聞けたり、

半分にしてほしいと言えば当然のように臨機応変に対応してくれると書かれていて、

私もそんな風景を少なからず見てきたことを思い出したのです。

小さい頃は、物珍しさに魅かれたり派手なものに魅力を感じていたので、

素朴さの中にあるあたたかさには、なかなか気づけなかったのですが。

量り売りでなくても、お店の人と距離が近くて気さくに会話ができる空気感は

素敵だなと、今の私はそう思います。

イタリアでも、日本でも、

きっと心に生活を楽しみたい気持ちがあるから

欲しい分だけ買えるような量り売りのある生活がうまれたのかもと

ふと思ったりします。

よくよく辿ってみると、その過程には、

”楽しむ”ことがちりばめられているからです。

今日はどんな料理が食べたいか、作ってみようかと考える楽しみ。

何がどれだけいるかを決めることができる楽しみ。

いつでも新鮮なものを手に入れることができる楽しみ。

お店の人と情報を交換できる楽しみ。

量り売りのある生活は、自分で選ぶことだらけです。

現代では冷蔵技術が発達しているので、まとめ買いをすることも多いですよね。

忙しい毎日ですと、

欲しい分だけ買うスタイルは古く感じるかもしれません。

ですが、もし忙しい毎日から、

ほんの少しゆっくりしたペースに変えたいと思った時に

小さな個人商店を一度試してみるのも、また一興かもしれません。

お惣菜コーナーは、そのお店の個性が出ていて面白いと個人的には思います。

私は今では、チェーン店と個人商店、両方利用しています。

個人商店ではお魚を好きなように切ってくれるのが気に入っています。

その包みをカゴに入れてレジに持って行く時、不思議とほかほかした気持ちになれます。

人の手による仕事が垣間見れるからかもしれません。

話が逸脱しましたが、自分で欲しいだけ選べる食品店には、

信頼と豊かさと心のゆとりが感じられて素敵だなと、私は思うのです。

今日もここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回に続きます。

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