本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10
長倉さんとアユトンさん一行は、
タラオカという小さな町を出発し、船の旅を続けて三日経ちますが
目的地はまだ先でした。
長倉さんはアユトンさんと過去の様々な話を共有しながら、
カシナワ族のいる場所へと向かうのでした。
言葉のない世界にあるもの
長倉さんは「言葉」について、
アユトンさんがどう思っているのか聞いてみたところ、
次のような返事が返ってきました。
言葉が違っても音楽、写真、絵でお互いの心を近づけることができる。それが言葉になっていく。受け取る人間に心の幅があって初めて、言葉の深い意味を感じ取れる。自分の経験だけを最上と考えずに、言葉にヒューマニティをこめなければならない。
出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第四章カシナワの地へ.徳間書店、1998、P.171.
すごく抽象的に感じますが、私の心に響いてきたのでご紹介したいと思いました。
「言葉」はとても便利なものですが、
実際にコミュニケーションをとる方法は他にも沢山あって、
言葉を介さない方が真っ直ぐに、
時にわかりやすく伝わることもあります。
例えば、赤ちゃんは泣くことで伝えたりしますし、
人間以外の犬や猫たちも、しっぽの動きは隠せませんね。
言葉だと、誤解を生むようなことでも、
アユトンさんの言うように”音楽、写真、絵”なら同じイメージを共有できますし、
感覚にズレがあったとしても、言葉よりぎすぎすしない気がします。
言葉は角が立つこともありますからね。
言葉以外でも”伝えようとしている姿勢”に、
人は感動して、聞く耳を持ったり、
分からなくても表情で親しみを示したり、
それ以降の会話の方向性を決定づけることもあるのかもしれません。
そう思いますと、意思疎通の最初の投げかけ方は、
自分にとって大切だと私も改めて思いました。
自分の出方を決めていれば、相手の反応がどうあれ、自分が納得できるからです。
自分が聞く番の時も、
”受け取る人間の心の幅”があって、自分が相手の事をより理解できると
アユトンさんは言っています。私もその部分はとても共感します。
実際その部分が一番難しいと思います。
受け取るには、まず先に自分の心の中の把握ができていて、さらに余裕もなければ、
咄嗟の会話において、相手の言葉からの深い理解は見過ごしてしまいそうです。
言われた言葉の意味を、何年、何十年経ってから、
ようやく「相手はこういう気持ちでこう言ったのかもしれない」と
ふとわかることが私にはあります。本人に確認しようがないので予測止まりですが。
でも、自分の中で全容がつかめてきさえすれば、
たとえ解せない出来事でも(笑)、自分の認識力のようなものが変化していくのを感じます。
そういうこともある、そういう人もいる、と。
それを「自分の世界を広げる」という表現をする方もいるかもしれません。
アユトンさんの言う”心の幅”は、考えさせられる言葉です。
限られた時間をどう生きたいか、問われているようにも感じます。
きっと多くの異なる価値観が”材料”と捉えられれば、心の幅は徐々に変化していくのではと
今の私は思います。
”言葉の深い意味を感じ取れる”という部分も印象的です。
相手のためではありません。
自分が、相手を理解したいだけ理解できる、という能動的で素敵な捉え方だなと思いました。
この場合だと、理解されたと感じた相手は安心するでしょうし、
結果コミュニケーションも必然的にうまくいくのでしょうね。
”自分の経験だけを最上と考えずに、言葉にヒューマニティを”という言葉も、
鋭い所をついていると思います。
ヒューマニティは、人間性・人間らしさですね。
何年、何十年生きていても、毎日そばにいてもいなくても、
「互いにまだ見ていない景色がある」
「互いが知らない経験をしている」
「互いに違う得手不得手がある」
という前提で会話したいな、一切の不安もなく楽しいだろうな、と改めて思います。
言葉を贈ってくれたアユトンさんに感謝です。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。
次回に続きます。