本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10
気の置けない仲間たちも呼んで、アユトンさん宅でにぎやかな食事が始まりました。
夜が更けてくると、
アユトンさんに月を見ようと声をかけられた長倉さん。
電気を消したテラスで、ロウソクに火をともします。
風は何を伝えているか
このような町にいても日々地球に触れる機会をつくるんです、とアユトンさん。
続けて長倉さんに次のように話します。
インディオは家族や村人とのコミュニケーションばかりでなく、風や水、火の力ともコミュニケートできなければ生きていけません。雨が降るためには風が働きます。風が何を言いたいのか聞くことが大切。
出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第三章ヤノマミの地へ.徳間書店、1998、P.102.
インディオのアユトンさんも、自然と触れ合うことを日ごろから大切にしているんですね。
知恵をどんなに沢山持っている彼らでも、
やはり日常的に地球を感じていないと気が滅入るそうです。
風や水、火の力とも意思疎通しようとするアユトンさんに、私はすごいと思います。
そういった自然の声を受け取ろうと思うと
修業がいるのではないかと錯覚してしまいますが、
そのような限定的なものを指してはいないのでしょう。
インディオだからそれができる、ということを言いたいのではないのだと思います。
自然の声にみみをそばだててみようという姿勢をインディオは持っていて、
彼らの生き方に合っていると言いたいのだと思います。
インディオのこの意見は、自然好きな私にとってものすごく共感できます。
私もよく散歩中に、足元の水路の音が聞こえてくると、
とても心地よく感じたりします。
アユトンさんの場合はそこからさらに、水に話しかけたりしているそうです。
すごくやさしい発想だと私は感じました。
さすがにそこは思いつきませんでした。
水より動物たちの方が話しかけているかもしれませんね。
鳥の声から会話を予測したり(あてずっぽですが)するのも楽しいですし、
かわいい野良猫を見かけて勝手に話しかけたりします。
反応がどうであれ、ついついやってしまうのは不思議です。
動物にできているのであれば、水にもできるかもしれません。
水に話しかけるのは素晴らしいと感じたので私もちょっとやってみようと思いました。
雨が降るには風が働く、とアユトンさんは言いますが、
私には思いもつかない発想やイメージを思い起こさせてもらい感動しました。
もしかして雨は重力で落ちてくるだけではなく、
風の意思が入っているかもしれません。
ひとつの雨粒に風が関わっているのなら、
なんだか物質が物質にみえなくなりそうです。
アユトンさんの言葉通りの捉え方とは違うかもしれませんが、
それでも私にとっては、固定概念を痛快に突破する言葉に受け取られて仕方がありません。
”何を言いたいか聞くことが大切”とアユトンさんも言っていますが、
これには私も同感です。
きっと、自然を”感覚で感じてみてほしい”という意味なのだと、私は思いました。
それにはアユトンさんのように、静かな時間を作って、
意図して自然に向き合うのがいいのかもしれませんね。
ここからは余談ですが、
本当に、”聞く”という状態は、現代社会においては時に難しいと感じます。
”聞こうとする”や”理解しようとする”は、
自分にも他人にも、余裕があってこそスムーズに事が運ぶからです。
大袈裟に言えば
聞ける姿勢、聞く姿勢は、
奇跡に近い状態なのかもしれません。すごいことだと私は思います。
本当に何かを聞くには、
聞ける状態と聞ける土壌。
その土壌も、自分でメンテナンスして耕したり、
疲弊していれば、ほめ言葉をかけながら自分のペースで休憩をとったり、
時間の優しさを受け取りながら変化して自分のペースで更新したり。
その先に初めて”聞く姿勢”が
知らない間に顔をだすのだと私は思います。
だから、人とも自然とも、能動的に図るコミュニケーションは
ものすごく奇跡的な状態で行えることだと思うのです。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回に続きます。