本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら)
○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10
話は次の章へと変わり、
長倉さんが二年ぶりにアユトンさん宅で再会する所から始まります。
常に受けて、与える
その前に、三章のページの裏にこんなアユトンさんの言葉がありました。
湖は水を出し入れしなくなった時、病気になります。ですから、生命の流れの中にいて、留まらず、常にエネルギーを受けて、与えることは、私たちができるもっとも創造的で聡明なことなのです
出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第三章ヤノマミの地へ.徳間書店、1998、P.98.
とってもイメージしやすくわかりやすい知恵だと私は思います。
なぜかアユトンさんの言葉は、スーッと自然なリズムで入ってくるように感じます。
湖を、私たち人に例えているんですね。
人の70%は水分でできているから、という意味でも考えられますが、
ここでは生命の流れも滞ることなく流れていることを伝えています。
それには、”常にエネルギーを受けて”、
”与えること”が大切だとはっきり言っています。
受けることが先なんですね。
受けるから、与えられるんですね。
この順番を間違えて覚えてきた私としては、
色んな意味で身に沁みますので、すんなり認めることが難しかったです。
与えることが、いいこと、素晴らしいこと
ひいては素晴らしい人だと。
与えられる人は、余裕があってスゴイ人に見えたりして、なおさら憧れます。
ですが、私は自分も他人も表面的な部分しか見えていませんでした。
私は、表面的に必死に与えていても、
先に受けとることをしていなかったので奥底は虚無感でいっぱいで、
他人は、先に受けとる体験を膨大に積んできたから、
自ずと与えるという行動が表面に出てきている。
同じ人間でも、こんなに真逆の体験をすることがあるんです。
私は、自分の中で何が起きているのか、相手の中で何が起きているのか、
その違いはなぜ起こるのか、悩んできました。
心の中で起きていたことは複雑でも、仕組みは物凄くシンプルだったんですよね。
たくさんの感情を紐解く作業は難しかったですが
一通り山場を抜け、俯瞰してこのように書けるまでになってありがたいです。
もっと早く、アユトンさんのような言葉をもった大人に出会いたかったと
正直思ったりもしましたが、
生き抜いてきた自分に感謝しています。
悩んだからこそ出会えた人も沢山います。
悩んでいなかったら、長倉さんの本と出合うこともアユトンさんの言葉に
ここまで深い感動を覚えることもなかったかもしれないですね。
たとえ受け取り下手でも、受け取り方を体得できなかったとしても
だからなんだと、あえて胸を張りましょう。
今から、遠慮なく受け取る練習をすればいいのですから。
受けとり、与えることが、もっとも創造的なことと断言するアユトンさん。
生きることを小難しく考えてしまいがちな自分に
肩の力を抜いていいと言われているようで、私はうれしく感じました。
受ける、与える、について、ひとつ私が思ったのは、
呼吸についてです。
人間は当たり前のように空気を吸っていますが、
植物たちが長い間生命活動をしてくれていてこそです。
彼らがいなければ、人間は地球には存在できませんね。
呼吸も、植物が光合成によって生み出してくれた酸素を主に取り込み、
二酸化炭素として排出していますよね。
これも、植物のエネルギーを受け取らせて頂くのが先です。
だから人間は毎日いろんな好きな事や活動ができるんですね。
でも、私が少し疑問に思うこともあります。
昔通っていた音楽教室で教わったことなのですが、
よく「吸って~、吐いて~」と、エクササイズでは使うこともありますが、
呼吸という文字は
「呼」=吐くという意味、
「吸」=吸うという意味、
で成り立っていると教わったんです。
実は吐くことが先なんですね。吐かないと吸えないんです。
吸わないと吐けないとも言えますが、
その先生がおっしゃったには、最初は吐くが先みたいです。
必死に吸う方に気を遣わなくても、
息を吐ききると、その分だけ自然に空気が肺に取り込むことができるんです。
なるほどなと思いました。実際、意識して吐ききった後は、
体にまかせて勝手に空気は入り込んでいくので、
おお~と私も納得しました。
なので、そんなことを教えてくれた先生のような視点で
呼吸を考えてみると、
何を先に受け取って、何を与えているんだろう?とふと思ったのです。
私の理解の範疇ではよくわかりません。
もしかしたら
吐くときにも自分の意図がいりますから、
自分の力(意図)を、先に受け取って、
他者の力(空気、エネルギー)を受け取る機会を、自分に与えている
のかもしれません。
今の私ができる精一杯の憶測です。
鶏が先か卵が先かのような、とりとめもない話になってきました。
今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回に続きます。