人が求めるもの 

インディオの言葉

本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら

○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10

旅の途中で、ヒベリーニョと呼ばれている川辺に住む人々の家に寄り、

心づくしのもてなしを受ける長倉さんとアユトンさん。

家にあるのは干された衣類や調理道具などだけ。

しかし何種類もの果物を気持ちよく差し出し、もてなそうとしてくれます。

普段あまり人と関わることが少ないから、旅人は歓迎されるのではと長倉さんは思います。

子だくさんなヒベリーニョ。親の一声で子供たちも家事の手伝いをします。

人々が求めているもの

そんな家族の様子が温かく見えると長倉さんが言うと、

アユトンさんはこう答えます。

いわゆる文明から遠く離れたところの人を訪れると、昔からの道具を使い、つつましく生活しています。そこで人々が求めているのは物ではなく人間なのです。

出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第二章アクレへの旅.徳間書店、1998、P.61.

正直、この部分を最初に読んだとき心がざわざわしました。

特に、”人々が求めているのは物ではなく人間”の部分です。

人が求めるのは人という部分は、私もそう思います。

しかし、そうなんだと気持ちよく言い切れるかというと、

それなりの心の段階や準備があることもあると思います。

純真無垢に何の陰りも抵抗もなく”人が求めるのは人”と認められない自分が

どこかにいたのです。

自他ともに人の様々な面を見てきた記憶と上手に付き合えないでいるうちは

まだ心のどこかでざわついていたりします。

心の孤独についても、経験した分だけは理解できると自負しています。

敢えて私はこの事を書いています。

もしアユトンさんが、”人々が求めているのは物ではなく愛”

と表現したら、私のざわつきセンサーは働かなかったかもしれません。

愛という抽象的なイメージに期待してどこか夢をみているうちは、

深い感動もざわつきもなく

ただ美しい言葉として、よくもわるくも奥まで響かなかったかもしれないのです。

でもアユトンさんは言い切ります。

”人々が求めているのは物ではなく人間”

これは、「愛」というどこかユートピアのような印象をつけられた文字に対して、

とてもリアルな表現だと私は思います。

だから、私の心を洗い浚い整理するような、

直視せざるを得ない現実的な響きに聞こえるのです。

私がすごいなと思うのは、アユトンさんもインディオも

人種によって価値観の大幅な違いや

多くの困難があったことをしっかり認識しているにも関わらず、

時代の風潮と向き合い、人と向き合い、自信と向き合い、

人間を信じられる強さを持ち続けている事です。

人の持つ素敵なところを信じて

人の本質的な部分を、見失わない所です。

諦めたり、自棄的になったり、無気力になったり、知らない振りをしたり、

卑屈になったり、直視せずに逃げたり・・・

弱さだって、人はどれだけでも見ることができてしまいます。

実際は、そのような気持ちも沢山あったかもしれませんが、

自分の力と民族の存在があったから、

何とか乗り越えてきたのではないでしょうか。

困ったときに、見つめられる人がいたから、強さを保てたのではと思います。

綺麗ごとだけを言っているとは私はとても思えません。

体験して乗り越えた人の言葉だからこそ、

自分が何を求めているか見失ってしまった人の心にも、静かにきちんと届く気がするのです。

今日もここまで読んで頂き、ありがとうございました。

次回に続きます。

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