森の動物のような美しさを塗る

インディオの言葉

本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら

○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10

長倉さんとアユトンさんは、旅に同行してくれているインディオや協力者と共に、

森に向かって川をボートで遡りますが、

乾季で水量が少ないため船が乗り上げたり、予期せぬ巨木の流木に出会ったり

時には人間は船を降りて川の中をバシャバシャと歩きながら進みます。

異国の地で危険な動物たちを気にしながら、

サバイバルをしているかのようにだんだん疲れを見せる長倉さんと、

道が立ちふさがれたようにみえても、大自然と語りながら生き生きと突き進むアユトンさん。

インディオを訪ねる旅は続きます。

森の動物のような美しさを塗る

川を遡りながら、アユトンさんは即興の歌を口ずさみます。

「清らかな小川があれば行水し、
 森に入れば果物を口に入れ、
 村人の家で休み、食事をご馳走になる。
 顔を森の動物のように美しく塗り、また旅をする」

出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第二章アクレへの旅.徳間書店、1998、P.53.

風景が浮かんでくるような素敵な歌だと私は感じます。

インディオの日常を歌っているのだと思います。

派手ではなくても目立たなくても、

自然と人間の不思議をそのまま讃えた様子が織り込まれています。

即興で口から自然と出てくるなんて、

平生の心の土壌の豊かさのようなものを感じざるを得ません。

どれだけこれまで自然と溶け込み、大好きなものに夢中になってきたのでしょう。

そうでなければどうやって、こんなに表現が湧き水のように自ずと出てくるのでしょう。

自然が宝物であること、同時に人間も素晴らしい存在であること、

さまざまな星屑のような喜びがこの短い歌に凝縮されているように私は感じます。

特に、最後の部分は個人的にものすごく好きで感動しました。

顔を森の動物のように美しく塗り、というのは、

インディオが自然の植物から採取した染料の事を指しているのだと思います。

本でも沢山素敵な写真が載せられているのですが、

祭りの写真では顔に赤や黒の色で

独特の化粧を施したりしているインディオの姿があるからです。

私は動物が大好きですので、

野生動物に感じる美しさを遠く離れた人々と、

私と少しでも近い感覚で共有できているような気がして

とても嬉しかったです。

それだけでなく

彼らは美しさを隠すことなく、眩いほどに外に放射させているように感じたのです。

それは写真の彼らからも伝わってきますし、

先ほどのアユトンさんの歌の

「顔を森の動物のように美しく塗り」という表現からも感じるのです。

言葉でうまく表現するのは難しいですが、

動物は美しい。その美しさを人間は遮らなくていい。

そう言われているようです。

人間だって美しいのです。

だから、それをいつだって全面に出していいんです。

誰の目も気にせず、動物がそうしているように。

人間があまりにも人間とは何か見えなかったために

どこかでずっと抑え込んでいた「美しさ」を

自身も知らないままということもあると思います。

でも、それは動物が教えてくれていて、あとは

人間が人間の美しさを自身で認めるだけなのかもしれません。

アユトンさんの表現した歌を、

私は彼の思う通りには受け取ってはいないかもしれません。

でも、この「顔を森の動物のように美しく塗り」の部分は、

私にとっては何度も響いて仕方ありません。

顔を美しく塗る。

顔に美しさを塗ることで表現しようとする心の機微や精悍さ、

あるがままの勇壮な様子。

あまりまとまらない言葉を落としていくようですが、

今の私が受け取り切れないなにかの切れ端を受け取るならそんな感じです。

森の動物も人間も美しいなんて

本当に美しいことだと私は思います。

それは何も今すぐ森にすまなくても、

彼らを思い出すだけでその美しさが揺れて、私にはその揺れが心地よいのです。

美しさを塗る。

塗るのは喜びの衝動。

野生生物と常にいつも生き、生かされている彼らの言葉から

美しさについて美しく感じられて嬉しく思います。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

次に続きます。

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