独自の文化で世界は続く

インディオの言葉

本のご紹介の続きです。(前回の記事はこちら

○著 者:長倉洋海
○題 名:『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』
○出版社:徳間書店
○発売日:1998.10

こちらの本にはアユトンさんがインディオとして生まれ、

近代化する都市や森での生活でどんな変化が起こったのか、

時代背景もありのままに記されています。

開発と引き換えに消えゆく自然と、

様々な状況の中でも生き抜いた人々の奥底にあるしなやかさを感じました。

大変だった当時を生きた人々を尊敬します。

独自の文化で世界は続く

アユトンさんは長倉さんに、こんな風に言っています。

「人が自らの文化を失えば、それは飛行機を免許なしで操縦するようなもの。自分に危ないばかりでなく、他の人をも不幸にしてしまいます。さまざまな場所で独自の文化を守っている人が世界にいるから、世界はまた続いているのです」

出典:長倉洋海.『鳥のように、川のように 森の哲人アユトンとの旅』.第一章アユトン・クレナックとの出会い.徳間書店、1998、P.46.

私は正直、少し厳しい意見に感じました。アユトンさんにしては、です。

アユトンさんは、本に掲載されている様々な写真を一目見れば

お分かりいただけると思うのですが、本当に温厚で笑顔が似合う紳士なんです。

私はなんて気さくで温かい雰囲気の人なんだろうと思いました。

言葉にするのは変ですが、何度も呼びかけたくなるような懐かしささえ感じます。

そんなアユトンが、

文化が失われることに警鐘を鳴らす意味でそう表現したのです。

文化はアイデンティティを揺らがすほどの大切な根幹だと感じているからだと思います。

文化を失うことは自分に危ないばかりでなく、他人をも不幸にしてしまう、とまで言い切っています。

しかしこれは言い換えれば、

自分の幸せが他人の幸せにもつながる、という事でもあり、

それらを暮らしの中で体得してきた人ならではの視点だとも感じました。

文化を守っている人がいるから世界は続くという部分も、

詩的でもありとても的を射た言葉だと感じます。

現にそのおかげでこうして、

遠く離れた異国の地の彼らの価値観を知ることができ、

忘れていたであろう何かに再び気づくきっかけになるかもしれないと思うのです。

こうして書かせて頂きながらも、私自身がそれを思い出している途中かもしれません。

改めて文化とはなんだろうと私なりに考えますと、

緊張する感じのネガティブイメージと

明るく広がりを感じるポジティブイメージの、両方が浮かんできました。

ネガティブでは、

堅苦しさ、格式ばった儀式、厳か、古い、現代で実践的でない、不可侵領域。

ポジティブでは、

穏やかさ、豊かな土壌、自然に人々に受け継がれる流れ、地域色、自然との融合。

今の私はこんな言葉が連想されましたが、人それぞれにあると思います。

共通しているのは、

一人以上でつくられる人の心の流れだと私は思いました。

時代を経て現代の職人さんが昔の工芸品や芸術的な技を再現することも、ありますよね。

継承者がいなくて忘れられてもなお、何か品として形が残っていると、

当時の人の残した技術の高さに驚愕したり、その手法を学び取ることもできます。

しかし、形として残っていないものに関しては、

文献を手掛かりにするしかないように思います。

口頭でも忘れ去られれば、今までの人々の知恵はそこまでになります。

できたら生きている人同士で受け継ぐことができたら、たとえ未来は分からなくとも

お互いに安心感のようなものが生まれる気がします。それは人の不思議ですね。

先のことは見えなくても、

つながりを感じることができたなら満たされる生き物かもしれません。

だからもし万が一、リレーができなかったとしても、どこかで止むをえず途切れたとしても

取り戻そうとする姿勢や、ヒントを集めて誰かを訪ねる気持ちがあれば

すでに文化は絶えていない気が私はしています。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

次回に続きます。

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